キミ好みの





まさに鬼の霍乱だ。信じられるだろうか?承太郎が救急車で病院へ運ばれたというのだ。
しかも原因はインフルエンザによる高熱で倒れたからだという。
昨日から何かおかしいと思ってはいたものの、研究が忙しく疲れが溜まっているせいだろうと軽く考えていたら、仕事場でいきなり倒れたのだそうだ。

意識がもうろうとしている間に救急車が呼ばれて病院へ搬送された承太郎が
僕に連絡を入れるように言ってくれたので夕方になってようやく僕はこの事実を知ることが出来た。
僕は仕事が終わった解放感に浸るどころではなくなり、隈の酷い顔で病院へ駆けつけた。
大きな病院で駐車場も広く、僕の停めたところから病院まで少し距離があり、
寝不足のまま全速力で走ったら貧血と呼吸困難になりかけて危うく僕まで入院させられそうになってしまったが、
何とか気力と根性で持ち直して承太郎の待つ病室へと向かった。
院内でも走ったものだから看護士さんに「走らないでくださいッ!」と怒られてしまった。

だけれど僕にとってはそんなことはどうでも良かった。
承太郎が…あの!病気の方が全速力で逃げ出して行きそうな承太郎が倒れたなんてッ!!
信じられなくて、嘘だと思いたくて、今はどんな状態なのか気がかりで、心配で、胸が苦しくて、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
受付で聞いた病室の前につくと、名前を確かめて(そこでもう一度ショックを受けて)ノックをしてから部屋に入った。

「承太郎ッ!!」
「典明か。」
「『典明か。』じゃあないよ!君が…君は、大丈夫なのかい!?」
「あぁ、薬が効いて今は微熱程度だ。…心配掛けたな。」
「……はぁ〜〜〜、よかった。」
「オイ、お前の方が今にも倒れちまいそうだぜ。」

一体誰のせいだ…!と言いたかったけれど、軽く睨むだけに止めておいた。
何せ相手は十何年、もしかしたら二十何年ぶりに病気になった男なのだから。
それにしてもインフルエンザだとしたらなぜこうも早く熱が下がったのだろうか。
不思議に思ってベッドの傍らの椅子に腰かけながら聞いてみた。

「薬を飲んだにしたって随分と早く熱が引いたんだね。」
「あぁ、医師も驚いていた。いくら特効薬とは言え早すぎるってな。」
「あ…あの問題になった?」
「まぁな。これを飲んだからには誰かにずっと付いていてもらわねぇと駄目らしいぜ?」

ニヤリ、といつもの不敵な笑みを浮かべて承太郎は言う。
まったくやれやれだよ。

「それは未成年の話だろ!ったく、そんな軽口が叩けるようならもう心配いらないな。……でも、本当に大事なくて良かった。」
「すまん。…だが傍についていて欲しいってのは嘘じゃあねぇ。」
「仕方のないヤツだなぁ。…良いよ。君の好きなようにしてあげる。何しろ君は『病人』なんだからね!」

そう言ってやると承太郎は嬉しそうな、そしてほっとしたような表情を浮かべた。
本当に今日は珍しいことばかりだ。
病気や怪我をすると心細くなって甘えたくなるが、彼も例外ではなかったらしい。
僕は素直に甘えられない承太郎をとても愛しく思った。

「もう退院できるのかい?」
「あぁ、迎えが来たら帰って良いと言われた。今は何処もベッドが空いていないと言うのは本当らしいな。
  …まぁ、俺もこんな所にずっと閉じ込められちゃあ敵わねぇ。」
「こんな所って君、お世話になっておいてどんな言い草だ!まったく困ったものだよ。」
「今更だろ?…帰るぜ。」
「はいはい。」

彼自身も言っていたが、承太郎は僕が想像していたよりずっと元気だった。
一人でさっと起き上がったし、しっかりとした足取りで歩いた。
安心した、けれど(肩を貸してあげたかったなぁ)なんて少しだけ思った。
思っていたら、承太郎の方から手を握って来た。
発熱のためいつもより熱いその大きな掌を安心させるように僕はぎゅっと握り返した。




家につくと承太郎は呆れたように僕を見た。
シャワーを浴びていたところに電話がかかって来て、慌てて家を飛び出したものだからバスタオルは床に落ちているし、
出る時に急ぎすぎて蹴っ飛ばしたゴミ箱は部屋の隅で転がっているし、その中身は軌跡を残すように床に散らばっている。
僕は仕方ないじゃあないかと言いたい。
部屋がこんなになっても気に掛けていられないほど慌てさせられたのだ。

「後でちゃんと片付けるよ?」
「分かってる。」
「で、どうする?病人は食べたい物とかやって貰いたいこと何でも言って良いんだよ。」
「…俺は子供か?」
「病人なんだから良いじゃあないか。…偶には僕だって君に頼られたい。」

僕がそう言うと、承太郎は「それじゃあ頼むぜ。」と言った。
少しだけ考えるように沈黙した後、こう続けた。


「一緒に寝たらうつしちまうかも知れねぇから今日は客間で寝る。
  だが、眠るまでで良いんだ…手を握っててくれねぇか?」

なんて…なんて素敵なお願いだろう?僕はもう心臓が倍の速さで脈打って苦しい程だった。
うつして欲しいくらいなのに……あぁ、疲れなんてどこかへ吹き飛んで行ってしまった。

「もちろんッ!君が眠るまでずっと付いてるよ。
  …本当は君のことを朝まで見ていたいのだけれど君は怒るだろ?」
「あぁ、駄目だ。」
「君の望むままにッ!」


普段とあまり変わらない振る舞いをしているように見えたがやはり身体は疲れていたのだろう。
承太郎はベッドに入るとあまり間を置かずに眠ってしまった。
寝入る直前に「お前が居て良かった。」なんて言うものだから、僕は目が冴えてしまって眠るどころではなくなってしまった。


いつもとは全く違う承太郎の意外な一面が見れて嬉しかった。
高熱で倒れた恋人に対して思うべきことではないかもしれないけれど、偶には弱った姿も見せて欲しい。
特に承太郎みたいな常にしっかりと自分の力で立っていて真っ直ぐに歩み続けている強い人間には。

明日には昨日までと変わらない君に戻ってしまうんだろう?
だからそれまでは、この手を握り返してくれている間だけは、ここに居させて欲しい。
君が見せてくれた心細さの欠片をまだ手放したくはないんだ。




明日は君の好きなものを作ろう。
美味しいって言ってもらえるよう腕を揮って。
もちろん、消化に良いものだけれどね。