シーザーとジョセフが付き合いだしたのは中学二年の終わり、終業式を目前に控えたある日のことである。 暦の上では春とされる頃、シーザーがジョセフに告白する事で二人の関係は親友から恋人へと名を変えた。 それから二ヶ月。 それは日差しもすっかり春めいて、風が柔らかくそよぐ日のことだった。 四月下旬の日曜日、シーザーは駅の中広場にあるオブジェめいた時計の下に立っていた。親友であり、最近新たに恋人と言う概念も加わったジョセフとの待ち合わせのためである。今日は付き合い始めて何度目かになる“デート”の日なのだ。 待ち合わせ時刻まではまだかなり余裕があり当然辺りに彼の姿は無く、シーザーは立ったまま肩に掛けた鞄から一冊の文庫本を取り出した。文脈に目を落として待つ体勢に入る。 知り合って二年、何度も遊びに行ったりして勿論互いの家は知っている。迎えに行っても良いのだが、やはりこうして待ち合わせるのがデートの醍醐味の一つだとシーザーは思っている。 やがてその場に立ち始めておよそ十五分ほど経った後、指定した時間ぴったりに待ち人は姿を見せた。 人混みを縫うようにこちらへ来るジョセフに、シーザーは明るいグリーンの瞳を細めて開いていた文庫本を閉じる。 小走りでやってきたジョセフはシーザーのすぐ目の前で立ち止まると、軽い音を立てて手を合わせた。 「悪ィ、待たせた?」 「ああ、待った。」 あっさりと事実を述べる簡潔な返事。ジョセフの眉間に一本皺がよる。 「…お前さァ、そういう時はウソでも『いや、今来たトコ』って言うもんじゃねーのォ?」 「お前にそんな遠慮必要か?」 「必要!超必要!ジョセフちゃんのハートはすげーデリケートなんだからねッ!」 「しなを作るな気持ち悪い。」 軽口を叩きあいながら肩を並べ歩き出す。歩くたびにジョセフの逆立った前髪がひょこひょこと揺れるのがひよこを思わせてシーザーの目元を知らず知らず緩める。 「まァ時間そのものは遅れてないし、というかおれが早く来すぎただけだから気にするな。」 恋人に見せる甘さでシーザーが笑みを浮かべる。その笑顔に隣を歩くジョセフはわずかに首をかしげた。 「つーかお前さァいったい何時から来てんの?今日はともかく五分とか十分前とかその辺に行ってもいつもお前おれより先に来てんじゃん。」 「いいだろそんなこと。つい早く来ちまうんだよ、一分一秒でも早くお前に逢いたくて。」 極上の甘さを声に乗せてシーザーが答えると、ジョセフは一瞬目を見開いてからすっと進行方向へと顔の向きを切り替えた。 「馬鹿じゃないの、お前。」 目を逸らしたまま言うジョセフ。分かりやすさに噴出しそうになるが此処で噴出すと確実にジョセフの機嫌を損ねてしまう。シーザーはなんとか笑いを噛み殺しながらおどけるように肩を竦めて見せた。 「恋をすると人は皆馬鹿になるもんさ。」 「馬鹿、おまえやっぱ馬鹿ッ!」 「それは結構。顔が赤いぜJOJO。」 くだらない話をしながら切符を買って、ホームへの階段を上がる。 今日二人が向かおうとしているのは二駅乗った先にある繁華街である。駅前から伸びる若い世代向けのショップが多く立ち並ぶ通りを中心に、少し歩けば水族館や観覧車まである其処は二人の関係が変化する前からよく遊びに行っていた場所で。丁度停車していた各駅停車の電車に乗り込み、空いていた席に並んで座る。 「今日どっから回る?」 楽しそうな笑顔でジョセフが尋ねた。 「お前が行きたいところならどこだって着いてくぜ?」 「え、だっておれシーザーが行きたいトコ行きてェんだもん。」 そう言って不満そうに唇を尖らす。 さらりと言われた殺し文句は破壊力満点で、思わず人目も憚らず抱きしめたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえる。内心の葛藤を必死に押し殺し、シーザーは笑って可愛いやつだな、と冗談めかして小突いてやった。小突かれた場所を押さえ、むう、とジョセフが不満げに眉根を寄せる。 「男に可愛いとか、普通にシツレーだろ。」 「ハイハイすいませんでした。」 「誠意がない!」 ぎゃあぎゃあと騒ぐノリに乗って、他愛ないじゃれ合いに摩り替える。甘い雰囲気にされてはとてもじゃないが理性が持たない。 「…じゃあ、もうすぐ姉さんの誕生日なんだ。プレゼントを見繕いたいんだが、付き合ってくれるか?」 苦笑を滲ませて提案すると、途端に彼の表情が明るくなる。 「もっちろん!」 傍らで輝く眩しい笑顔に何かが崩壊しそうになるがぐっとこらえ、シーザーは胸の内にかかった靄などおくびにも出さずに微笑の形で顔を硬直させていた。 シーザーとジョセフが付き合いだして二ヶ月経つが、シーザーは今ひとつ関係を計りかねていた。 二ヶ月と言う時間は恋人同士ならばそれほど短い時間ではない。シーザーの今までの経験からするともう蜜月の最盛期と言っても良い。 しかしジョセフの自分に対する態度は二人の関係を表す言葉がまだ“親友”の一つだけだった頃とあまり変わらないのだ。甘い言葉を囁いてみてもさっきのように雰囲気を柔らかくはするがそれで終わり。手を握ったことだって無いし、そんな状態なのだから無論キスなんて行為は言うに及ばずである。 口頭では愛の言葉を奉げあっても、一向に近づかない距離。もしかしたらジョセフは付き合った先のことなど頭に無いのかもしれないとシーザーは考えるようになっていた。何しろ二人の関係は確かに“恋人”だが、同性の、と言う前置きが付く。彼は心と心を通わせあっても男同士で触れ合いたいとは思っていないのかもしれない。 けどシーザーは違う。 触りたい。 抱きしめたい。 キスがしたい。 もちろん、それ以上も。 単純な欲望が身体の中心の辺りでとぐろを巻いてゆだっている。力の限り抱き寄せたらどんなにおいがするのだろう。あの唇は触れたらどんな感触がするのだろう。 触れたい。 触れたい。 触れたい。 けれどそんな欲の塊を彼にぶつける訳にもいかず、シーザーはただひたすら沈黙している。時々衝動的に手を伸ばしかけてしまうこともあるが、乱暴に触れてしまって壊れてしまったら、怖がらせたらと思うと身が竦む。傷つけたいわけではないのだ。彼を守りたいと思ってこの想いを伝えたのだから。 だから綺麗に笑うジョセフの隣で、シーザーは曖昧に微笑して彼との距離を測っている。 繁華街に着いた二人はまず電車内で決めたとおり、シーザーの二番目の姉へのプレゼント選びへと出発した。雑貨屋、アクセサリーショップ、アロマショップ。女性向けの商品が所狭しと並んだ店舗を順に巡り、結局シーザーはスタイリッシュなデザインのルームフレグランスを包んでもらった。小洒落た内装のその店を出たとき丁度一時の鐘がなり、あちこち歩き回って腹の加減も程よく空いていた二人は目に付いた半オープンスタイルのカフェへと昼食を摂りに入った。 「なァ、この後どーする?」 ローストビーフと生ハムを新鮮なレタスと一緒に挟んだサンドイッチを頬張りながらジョセフがシーザーを見た。彼はとにかく肉系の食べ物が好きだ。ちなみにシーザーはアボガドと海老をドレッシングで和えたものにやはりレタスを添えたサンドイッチとアイスコーヒーのセットである。 「こら、喰いながら喋るんじゃねーよ。」 イギリス貴族の末裔が聞いて呆れるぜ?と茶化すとジョセフはもごもごと口を隠して、ごめん、と言った。彼の食べっぷりは食物を本当に美味しそうに味わっているので見ていて気持ちが良いくらいだが、話に熱中してくると時折礼節を忘れてしまうのが玉に瑕である。 シーザーは微苦笑して自分のサンドイッチを一口分ちぎり、ジョセフの皿に置いた。途中でそっちも一口!と言ってくる姉弟が多い所為か、言われる前に一口分を分け与えるのがもはや癖になっている。二年の付き合いの中でそれをすっかり熟知しているジョセフは感謝の証としてシーザーににこっと笑いかけると遠慮なくそれを口に入れた。 いかにも美味そうに食べる彼を微笑ましく思いながら、シーザーは先の問いに答える。 「そうだな、適当にぶらついて、見たい店があったら入って、てな感じでおれは良いけど…お前は?」 「んー、おれも特に無ェし…」 ぱく、とまた焼き色香ばしいサンドイッチにかぶりつく彼。柔らかな食パンではなくこんがり焼き上げられたバゲットで挟んであるサンドイッチは噛み千切ると硬い皮がはがれて破片が白いナプキンの上に落ちる。ぱりぱり、もぐもぐと舌鼓を打つ彼を眺めて、シーザーは自分も目の前のパンを口に運んだ。 「…うぁ。」 しばらく食べ進めていたら不意にジョセフが変な声を漏らした。正面を向いてみると、おそらく思い切り歯を立てた拍子にドレッシングが飛び出てきたのだろう、ジョセフの唇と右手に白っぽい液体が付着していた。 「うへー、出てきた…」 露骨に嫌そうな顔をする。事態と鬱陶しそうなその表情が幼い子供めいていて、シーザーは思わず吹き出した。 「子供か、お前は。」 「うっせー。」 にやにやと口角を吊り上げるシーザーにジョセフがささやかな悪態を吐く。しかし笑いながらもシーザーが紙ナフキンをさしだそうとした刹那、顔面に浮かんでいたからかうような色は飛んだ。 「このドレッシングうまいんだよなァ。」 言いながらジョセフがぺろりと上唇を舐めたのだ。次いで下唇を舌がなぞる。 ふっくらと厚めの唇。いかにも弾力のありそうなそこを紅い舌が辿って、ドレッシングをぬぐっていく、何気ない仕草。けれどもそれはシーザーの心臓を高鳴らせるには十分過ぎた。 「どっかに売ってねェかな…でもこの店オリジナルだろうし…」 誰に言うでもなく一人言に近いものを呟きながら、今度は指に舌を這わす。だらりと伸ばされた指を一本一本舌が登っていく様子は何処か意味ありげで妖しい色香が匂って見える。勿論ジョセフにその気は一切無いだろうが、それでもシーザーは鼓動が早くなっていくのを止められなかった。覗く舌から目が離せない。 「…シーザー、どうかしたか?」 硬直してしまったシーザーを不思議そうにジョセフが呼んだ。混じりけのない真っ直ぐな声に我に返る。 「あ…や、なんでもねェよ。」 取り繕うように笑って見せると、ジョセフは何処か納得できないような表情を浮かべたが、結局はまたサンドイッチへと取り掛かった。追求されなかった事に内心深く安堵する。言える訳がないのだ、欲情した、なんて。 未だ冷めやらぬ熱を追いやるようにアイスコーヒーを呷る。氷が大量に入った冷たい苦味は心も身体も落ち着かせ、すっきりさせてくれるようだ。ミルクも砂糖も入れないブラックを平然と飲むシーザーに、自他共に認める甘党であるジョセフは信じられない、といつも眉間に皺を寄せる。 少し酸味の利いたオリジナルブレンドのコーヒーを嚥下して、一息吐く。やっと冷静に彼の顔を見られそうで、シーザーはようやく前を向いた。いつのまにかジョセフはサンドイッチを綺麗さっぱり平らげていて、セットについてきていたデザートのチョコムースをつついて幸せそうな顔をしている。 「…おっまえ、本当に甘いモン好きな。」 「あぁ、大好きだ!」 呆れたように言ったのだが、笑顔で即答する彼につられてシーザーは口の端に笑みを乗せた。 そして、ふと気づく。 「JOJO、顔にまつげ付いてるぞ。」 「え、どっち?」 「右。あ、そこじゃないもっと上…ああもういい、取ってやるから大人しくしてろ。」 「んー。」 目を閉じたジョセフにシーザーは身を乗り出して手を伸ばした。頬に手を当て親指を伸ばし、右頬にくっ付いた睫毛を取り去って。そこで初めて、シーザーは自分がやってしまった失態に気がついた。 身を委ねるように軽く閉じられた彼の瞼、意外と柔らかな頬に添えた自分の手。 これはまるで。 キスをする時の。 そこまで一気に連想して、シーザーは内心ひどく動揺した。顔に熱がのぼる。どくどくと心臓の音がうるさい。慌てるシーザーなど一向に気づかず、ジョセフはただ目を閉じたままで居る。 身体を操る糸が全部途中で切れたかのように動かなくて、視線を逸らすことも手を離すことも出来ない。もう少し身を乗り出せば触れられる距離に彼の唇がある。 ごくりと喉が鳴った。 知らず知らずのうちに身をせり出して。 距離を、つめる。 「………シーザー?」 「わーーーッ!?」 その時突然声と共にぱっちりと瞼が持ち上がった。あらわになったブルーグリーンの虹彩に間近に迫っていたシーザーが映る。我に返ったシーザーは椅子を蹴倒さんばかりに仰け反ってつめていた距離を戻した。 ジョセフは状況を確認するように二、三度瞬きをし、それから赤くなったり青くなったりしているシーザーに白い目を向けた。 「…何やってんだシーザー。」 怪訝そうに目を眇める。それはそれは訝しげに見つめてくる青翠に、シーザーは未だばくばくと体中に響いてうるさい左胸の辺りをぎゅっと掴んだ。脳はこの状況に対する言い訳を必死に探している。うさんくさそうにこちらを見るジョセフへ、シーザーはとりあえず取り繕うように笑顔を浮かべた。 「わ…悪い。ちょ、ちょっとぼーっとしちまってたとこを声かけられて、驚いた。」 「…いくら何でもびっくりしすぎじゃねェ?」「や、ほんとぼーっとしてたから…気にするなよ、な?」 じとっと据わった眼で見られて背中を汗が伝う。へらりと笑顔を貼り付けたままのシーザーに、あくまでも不審げな色を隠そうともしないジョセフ。一秒が一刻ほどにも感じられる膠着状態が続いたが、やがてジョセフは溜息を吐きだして頭を掻いた。 「…ま、何でもねえなら良いけどさ。」 スプーンでチョコムースをすくって、ぱくりと一口。途端に少々不機嫌だった顔つきがみるみる溶けて、喜色を湛える。 「んー、やっぱここのデザート美味しいよな!」 「…そりゃよかったな。」 嬉しそうに舌鼓を打つジョセフに相槌を打ちながら、シーザーは何とか誤魔化せたか、と内心で深い安堵の息を吐いた。姿勢を立て直し、残っていたアイスコーヒーを飲みきる。溶けかかった氷が涼しげな音をたてた。 「…なァシーザー、おれ行きたいトコ出来たんだけど。」 突然話題が戻る。見ればいつのまにかジョセフの前のチョコムースの器はきれいさっぱり空になっていて、チョコソースがほんのすこし底に溜まっている程度だった。 「ん?どこだ?」 「ゲーセン。プリクラ撮りたい。」 にこりと笑うジョセフ。鮮やかな微笑みにほっとしながら、胸が苦しくなる。いつまでこの熱情を堪えていられるか、と。 「ああ、良いぜ。じゃあそろそろ行くか?」 「おう!」 がたりと席を立ち、食器を返却口まで持っていく。 此処から一番近いゲームセンターはゲームセンター以外にもカラオケや映画館等の遊興施設が並ぶ半地下街にある。カフェを出てから歩いて十分もかかることなく二人は目的地へたどり着いた。 しかし。 「申し訳ございません、プリクラコーナーはお二人様だけではお通しできません。」 「えーッ!?」 「はい、防犯上の理由で男性だけの入場をお断りしていますので…他のゲームコーナーでお楽しみくださいませ。」 爽やかな笑顔の女性店員にそう遮られ、ジョセフとシーザーはプリクラ機が集まった一角から離れた。不機嫌さを隠そうともしていない大股の歩き方でジョセフはゲームセンターの出口へと足早に歩いて行く。不愉快そうなその背を眺め、シーザーはこっそり肩を竦めるとその横に並んだ。 「何だよ防犯上の理由って!おれたちが変質者にでも見えるのかっつーの!!」 「そう怒るな怒るな。仕方ないだろ。」 「んだよムカつく!こないだまで普通に通してくれたじゃんかよォ!」 「そういう取り決めの店、多くなってきたからな。」 「でもよーッ!」 ぶすくれた顔で不平を重ねていくジョセフにシーザーは困ったように笑う。率直に怒ったり笑ったりするその素直さを愛しいと思った。 「…まぁ、残念だったな。」 ぽん、と自分より少し低いか低くないかの高さにある頭を軽く叩くように手を置く。二、三度そうするとジョセフが驚いたようにシーザーを見て、大きな吊り目気味の瞳をぱちくりと瞬かせた。その表情がなんだか面白くて、思わず笑みをこぼす。 「なんだよその不細工なカオは。ほら、アイスでも奢ってやるから機嫌直せよ、な?」 わしゃわしゃとかき混ぜるように撫でる。 ジョセフは呆けたように刹那シーザーを見つめていたが、やがてふいっと顔をそらしてしまった。それでも歩幅は小さくなり、進む速度もゆるやかになる。ちら、とブルーグリーンがこちらを窺ってきた。 「…これさー、子供扱いって言わないか?」 「違うな。恋人扱いだ。」 本当はもっと一足飛びに恋人扱いしたいのだが。 思ってることはしっかり飲み込んで笑うと、ジョセフは瞬間的にシーザーを注視して。 「………よし、カラオケ行こう!!」 唐突にそう宣言した。 「はぁ?いきなり何なんだ。」 「急に行きたくなったッ!」 そう言って唇を尖らせるジョセフに面食らう。ポケットに突っこんでいた携帯電話を引っ張り出して時刻を見ると二時を少し回ったところで。ジョセフの門限は六時半だ。電車の時間やそこから彼の家までの時間を算出すると歌えるのは長くて三時間程度だろう。思ったことをそのまま告げる。 「今からだったらせいぜい三時間ぐらいしか歌えないぞ?お前いつも“三時間ぽっちじゃ歌った気がしねェ!”とか言って…」 「良いから良いから、ほら行こうぜ!」 「ッ、おい!!」 シーザーの話も途中で遮り、ジョセフはシーザーの手を掴んで引っ張った。不意打ちで繋がれた右手に気づいて心臓が跳ねる。初めて知る、その温度。高鳴る鼓動も知らずにジョセフは前を向いたまま握った手でシーザーを牽いていく。 「…ッ、不意打ちは卑怯だろ…!」 進んでいくジョセフには絶対聞こえないように呟いて、シーザーは不自然でない程度に繋いだ手に力を込めた。 ゲームセンターを抜けて、半地下街の一角にあるカラオケ店まで引っ張られていく。その間握った手が離れるようなそぶりは一度もなく、カラオケ店の自動ドアもそのままでくぐった。もしや受付もこのまま通るのかと思ったが、カウンターに店員が入る時さりげなく手が離れた。惜しいような安堵したような複雑な心地で離された右手を見つめる。 「おいこら、何ぼーっとしてんだよ。106号室だってよ、行こうぜ。」 「あ、ああ。わかった…って、こら引っ張るな、服が伸びる!」 いつの間にか受付を済ませていたジョセフが今度は手ではなくシャツの裾を持って移動しようとするのでそれは止めさせて、おとなしく先行するジョセフの後をついていく。 どうしていきなりカラオケなのかはわからないが、ジョセフが楽しそうならばそれでいいと結論付けて、シーザーは部屋のドアを開けた。二人用の狭い部屋に入ってドアを閉める。 戸が完全に閉まったか閉まらなかったかの刹那。 「………ッ!」 「うわッ!?」 突然ジョセフが思いっきりシーザーを突き飛ばした。 いきなりの衝撃に不意をつかれ、そのままそえつけのソファに仰向けの状態で倒れ込む。シーザーが起き上がるより先にジョセフが押さえ込むように跨がった。マウントポジションでシーザーを見下ろす。 恋人の突然の不可解な行動。腹にかかる体重に短く呻き、シーザーはぶつけた後頭部を押さえ、ジョセフを睨んだ。 「ッ痛ってェな何す…!」 しかし、文句の言葉が最後まで紡がれることはなかった。 胸元を掴んで引き寄せられ、次いで感じたのは。 「――――――――!?」 唇のやわらかな感触。 ジョセフにキス、されている。 焦点が合わないほど近い距離でジョセフの黒髪が揺れる。オーデコロンがふわりと薫った。 シーザーの思考が急速に停止していく。今の状況が信じられなくて、凍りついたように身を強張らせた。 固まってしまったシーザーにそのまま数秒自らの唇を押しつけて、ジョセフはゆっくりと体を離した。ちょうどシーザーの上に馬乗りになる形になる。揺れる青翠の宝石に呆けたようなシーザーが映った。 「…JO、JO…?」 今起きた事が信じられなくて思わず確認するように呼ぶ。 ジョセフは堪えるように押し黙り、俯いた。 「…何なんだよ、お前。」 降り始めた最初の雨粒のように、ジョセフがそう零した。 「なんだよ、一人でぐるぐる悩みやがって…思わせぶりな態度ばっか取ってんじゃねえよ!」 言葉の雨は徐々に激しさを増していき、叩きつけるようにシーザーにぶつかる。シーザーは胸元を掴まれたまま呆然と目の前の恋人を見つめた。 「おれだって…」 ジョセフの長い指がシーザーのシャツに皺を作る。強く握りしめられた手は震えていて。 やがてジョセフが緩慢すぎるほどゆっくりと顔をあげた。 薄暗い照明の下でも分かるほど、彼の頬は紅潮していた。 「おれだって、こういうコト、したいんだからな…!」 吐き出されたのは、まごうことないジョセフの本音。 どこか思いつめたような表情で、ブルーグリーンの瞳は揺れながらもシーザーを直視している。 ああ、自分は今まで彼の何を見ていたのだろう。表面上だけなぞって、分かっているつもりになっていただけだった。それを今、まっすぐな視線で思い知らされている。 ごくり、と息を呑んだ。 「シーザー…」 ジョセフの唇が震えるように名前をかたちどった。名を紡いだあの唇のやわらかさを、温もりを、自分は知っているのだ。 そう思うと、堪らなくなった。 彼の頤に手をかけ、強く引き寄せる。鼻先が触れ合いそうな距離。ジョセフの長い睫毛が震えるのが解った。 「…誘ったのは、お前だからな。」 シーザーは彼の頬に手を沿え、ぐっと距離を詰めていく。ジョセフははっとしたように青翠を見開いてから、ゆっくりと目を閉じた。 そして。 『――――――♪』 突如とびきり明るいヒップホップがカラオケボックスに響いた。 瞬間的に気まずく凝固した空気を流れる軽快なメロディ。いっそけたたましくさえ思えるそれに二人の動きは完全に止まった。音の源はジョセフのズボンのポケットの、携帯電話。 一向に鳴り止まない着信音に、ジョセフが恐る恐るシーザーを伺う。 「…出ても、良いか?」 「………………ああ。」 ついつい苦み走ってしまう表情筋を止められないままシーザーは頷いた。渋々頤から手を離すとジョセフは申し訳なさそうに眉を下げてシーザーの上から退いた。ポケットから取り出した携帯電話を耳に当て、距離を取る。 「…もしもし?」 着信先と応対し始めたジョセフを横目に、シーザーはひどく鈍重な仕草で半身を起こした。むくりと起き上がって、こちらに背を向けて通話しているジョセフを見る。その背中は全くもって普段通りで、応対する声からも余韻などかけらも感じさせない。 しかし、かすかに見える耳はほんのりと赤く色づいていて。 初めての恋人めい触れ合いの名残を唯一、けれど雄弁に語る耳朶を見つめて。シーザーは先ほどまでのいかにもな雰囲気を思い返して思わず無言のまま頭を抱えた。 惜しい。 惜し過ぎる。 二人きりの密室。馬乗りになってきた恋人。ぶつけられた本音。昂った鼓動。うまくいけばそれこそ行けるところまで行ってしまえそうだったものを。 それをたった一本の電話でぶち壊された。 あの電話さえなければ、とシーザーは怨みがましく未だ通話を続けるジョセフの手の中の携帯電話を睨んだ。 「…あ、うん、わかった…うん、ん。じゃあな。」 その言葉を最後にジョセフは電話を切った。曖昧な表情で携帯電話をポケットに突っ込む。 「…誰からだったんだ?」 「承太郎。」 ジョセフが苦笑に似た微笑みを浮かべてそう答えた。 「…で、何の用だったんだ。」 「いや別に何も。…ただ虫の知らせがあっておれに電話したって言ってた。…何つーか、承太郎って勘鋭いよな…」 そう言って複雑な笑みを口の端に乗せる。シーザーはあのクソガキ、と声に出す事なく呟いた。次に会ったら覚えてろ、と内心ぼやく。 「…えーと、何て言うか…ごめんな?」 眉を下げ、困ったような笑顔でジョセフはシーザーのすぐ隣に腰かけた。 予想外の彼の言葉にシーザーは瞳を瞬かせる。 「お前が謝ることじゃないだろ?」 「うん、でも…やっぱ、ごめん。」 甘えるように擦り寄ってくるジョセフ。機嫌を治してくれと言わんばかりのそぶりだ。こちらを窺うように向けられた目に自分はそんなにつまらなそうな顔をしているのかと頬を手で覆った。 「シーザー?」 「…ん?」 声に呼ばれて顔をあげると、ジョセフがブルーグリーンの双眸を揺らして覗き込むようにシーザーを見つめていた。不思議そうな、困ったような表情のジョセフ。その目に映っているシーザーはひどく間の抜けた顔をしている。なんとも格好のつかない自分たち。 何だかそれが可笑しくなってきて、シーザーは思わず小さく噴き出した。やがて肩を震わせて笑いだす。ジョセフの方は突然笑い始めたシーザーを何事かと言わんばかりに目を見開いてぽかんとしている。そんな表情さえ可笑しくて、愛しくて。シーザーはくつくつと笑いながらジョセフに向き直った。自分の中で煮詰まっていた欲望は、いつのまにか消え去っていた。 「…なァJOJO。」 穏やかな心地で、彼に手を伸ばす。 「もう一回、キスしてもいいか?」 青春情動グラフィティ (情けなくて、かっこ悪くて、) (とびきりきらきらしてる、ある春の日の出来事) ◆おまけ。◆ 「そういやカラオケはともかく、最初にプリクラ行きたがったのって…」 「…カーテンの中引き込んだらキスできっかなーって思って。」 「…………」 「…な、何だよ。か、顔が怖えよシーザーちゃん…!」 「…おっまえ、ほんっとに可愛いな…」 「なッ…!だ、だから男に可愛いとか言うなーッ!!」 わぁあい!! 我が心の妹君、由良様から相互記念にこんなにも素敵なシージョセをいただいてしまいました! もどかしい、もどかしいッ!だが、それが良いvV 本当にありがとうございます! 承太郎の妨害に負けずに頑張れ!シーザー!! シージョセ愛しいよ、シージョセv 由良さん、忙しいところありがとうございます!これからも宜しくお願いします〜! 五月由良様のお宅にはbookmarkから飛べます。 |