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この家に居る時に守らなければいけないことがいくつかある。


その中でも最も重要で絶対に破ってはいけない規則は、「仕事中の露伴の邪魔をしてはいけない」ということだ。
その日も噴上は露伴の家へ来ていて、仕事をしている恋人が仕事部屋から出てくるのを一人TVを見ながら待っていた。
しかしあまりにも番組がつまらないので電源を落としてキッチンへ足を向ける。
そろそろ露伴も降りてくる頃だろうとコーヒーメーカーをセットする。
そのまま待っているのも退屈、と一度居間に戻ろうと廊下へ出ると二階からガラスの割れる音と露伴の怒声が聞こえてきた。
何事かと急いで階段を駆け上がり仕事部屋の扉を開けると窓ガラスが割れ床に破片が飛び散っていた。
そこから吹いてくる風に血の匂いが混ざっていないことに安堵して声をかける。


「大丈夫か?出血はしてねぇみたいだけどよぉ。」
「何ともない。近所の悪ガキ共だろう。野球ボールが飛んで来てこの有様だ!
  そのうち来るだろうから二度とこんなことにならないようにと叱っておけ。
  僕はこの部屋をスケッチしなくっちゃあならない。お前は早く出て行け!」


そう言い放ってボールを放って寄こすと露伴はスケッチに熱中し始めてしまった。
こうなってしまっては満足するまでは何を言っても意味がない。
怪我だけはしないでくれよ、と声をかけたが生返事しか返ってこない。
ため息を一つ吐いて部屋を出ると、玄関でチャイムが鳴った。
「さて、きっちり叱ってやるとするか。」とボールを手の中で玩びながら玄関へと向かった。


「あれ?あ、あの噴上君、露伴先生は?」


扉を開けると見慣れた顔が並んでいた。
怒鳴られることを予想しての配置だろう康一の後ろに仗助と億泰が立っていた。
玄関から出てきたのが想像の人と違って戸惑ったのか康一はオドオドとそう聞いてきた。


「あぁ、今はスケッチで忙しいんだとよ。コレお前らの仕業か。それなら話は早ぇな。きちんと直してくれよ、仗助?」
「りょーかい。うぇー、またネチネチ嫌味言われるんだろうなぁ。」
「ハハッ!まーまー。お前が打ったんだから仕方ねぇよ。」
「てめっ億泰ゥ!お前があんな球投げるからだろーがッ!!」
「なにー!?」
「もぅ!やめなよ二人とも!」


喧嘩が始まりそうになって、声をかけようかと思っていたら急に背後から恋人の声がかかった。


「おい裕也。このコーヒーは飲んでも良い…」


言葉が止まり苛ついた声が質問を投げつけてきた。


「何故、ここにあの仗助のクソッタレヤローが居るんだ?いや、分かったぞ!あいつが僕の家の、しかも仕事場の窓を割ったんだろう。そうに違いない!おい仗助、お前の顔なんぞ見たくもないがとっとと二階へ行って窓を直せ。いいな!?…やぁ康一君、君がそんな顔をしなくたって良いんだぜ?なんせ僕らは親友なんだからね。さ、一緒にコーヒーでもどうだい?」


一息に捲し立てると少し嫌そうにしている康一の肩を掴んで居間へ行ってしまった。取り残された三人は納得のいかない思いで顔を見合わせた。


(何で俺だけあんなに言われなくちゃあならねぇんだよ!全くもってリフジンだろーがよ!)
(オレなんか無視だぜぇ?ヒデー…)
(とりあえず窓を直してやってくれ。その後で茶でも出すからよ。ったく、俺にも滅多に見せねぇ顔しやがって…)

小さな声でやりとりして、三人そろって二階へあがり窓を直す。
文句を言われないように慎重にクレイジー・ダイヤモンドで殴りつけ以前と変わらぬ姿を取り戻させる。
まだブツブツ言っている仗助を億泰がなだめながら居間へ向かうと、噴上の淹れたコーヒーを二人が飲んでいた。
康一は「助けて」と視線で訴えてきたが露伴が一方的に何かについて語っているため誰も間に入れない。 
二人に座るように言って噴上は飲み物を用意するために居間を後にした。
コーヒーを入れるのも面倒なので簡単に紅茶を淹れ運んだ。砂糖を持っていくのも忘れない。


「悪いな。生憎だがここにはジュースの類は無いんだ。」
「おう、構わねぇよ。」
「サンキューな!」


口々に礼を言ってから砂糖をたっぷりと入れて二人は紅茶を飲んだ。
噴上は何もいれずストレートで飲んだが、いつも露伴が淹れてくれるような薫りもなくあまり美味しいとは感じられなかった。
そして世間話をしているうちに辺りはすっかり暗くなってしまった。
高校生のしかも男なのだから別段心配することはないが康一がソワソワし始めたので仕方なく噴上は話を切り出す。


「露伴、もうこんな時間だぜ。原稿の続きはいいのかよ。」
「ん?そうか、もう真っ暗だな。」
「そろそろ僕たちお暇させてもらわないとッ!先生のお仕事の邪魔をしちゃあ悪いし。今日はお騒がせしてすみませんでした。」
「そうかい?また来ると良い。君ならいつでも大歓迎だよ。…ところで仗助、窓の方はきちんと直したんだろうな?」
「ヘイヘイ。ちゃあんと、きっちり以前とチコッとも変わりなく直しましたよ!」


「本当か?」と言うように目顔で聞いてくるので噴上は頷く。
すると露伴は上機嫌とまではいかないが幾分か表情を和らげて仗助に言った。


「御苦労だったな。…まぁ初めから割らなきゃいいことだが。」


(一言多いってんだよ、なぁ?)
そう小声で億泰に零しながらも仗助は「悪かった。」と謝った。
そして賑やかな三人は帰って行った。



噴上が居間のカップを片づけていると、窓の確認に行った露伴が戻ってきた。


「どーした、直ってたろ?」
「あぁ、それについては良いんだが。…その、お前が淹れてくれたコーヒー、勝手に出してしまってすまなかったな。」
「…え」


頬を紅く染めて、言うんじゃあなかった、と言いたげな表情を浮かべた露伴はさっきまであの三人に見せていたような顔とは全く印象が違い格別に可愛かった。
思わず片付けの手を止めて露伴を抱き寄せると計算し尽くされたような美しい笑みを浮かべ、愛しい相手の瞳を見つめながら噴上は言った。


「いいさ。露伴が飲んでくれたことに変わりはねぇんだからよ。だけど俺は露伴の淹れた紅茶が一番好きなんだがなぁ。」
「…淹れてやらなくもない。」


そっぽを向いて言う露伴は何でも無いような素振りをしていたがその顔は紅いままだった。
ツンと尖らせたような唇に口付けて名前を呼べば噴上の胸に顔を隠して「何だ」と返してきた。 
その姿が堪らなく可愛らしかったので、耳に吹き込むように「愛してる」と囁いた。
すると露伴は耳のそばにあった噴上の顎を押しやって腕から逃れると非常に小さな声で「僕だって愛してる」と言って居間から出て行った。
キッチンにお茶を淹れに行ったのだろう。噴上はニヤけるのをどうしても我慢できなかった。