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目覚まし時計が鳴り出す少し前に、眼を閉じたまま身動ぎすると隣で寝ている承太郎が僕に腕を回して抱き寄せてくれた。 彼の少し僕よりも高い体温が心地よく、ずっとこのままで居たかったが、憎らしいことに電子音が鳴り出した。 僕が腕を伸ばすより早く承太郎がその無粋な音を止め、僕に声を掛けた。 「典明、諦めて起きろ。」 「んー。僕、今日は起きたくない。」 「やれやれ…ガキみてぇなコト言うんじゃあねぇ。俺もついて行ってやるから。」 「本当かい?じゃあ行く。」 そう言うと彼はまた「やれやれだぜ…。」と言って僕を布団から引っ張り出した。 僕が笑いながら体を起こして「おはよう承太郎」と言うと彼も「おはよう」と返してくれた。 今日は僕の定期検診。もう何度もやったことでもあるし、別段身体に不調も無いのだから不安は無いのだけれど、あの大きな機械には慣れることなど出来ない。医師達のあの雰囲気も苦手だ。 承太郎は今日、大学が休みなので(自主休講とも言うが)僕に付き添ってくれるらしい。憂鬱だった気分も少し浮上した。 パンとベーコン入りのサラダ、ヨーグルト、承太郎はコーヒー、僕は紅茶という簡単な朝食をとりながらニュースを見る。 これと言った事件も無く、情報を適当に流し見ながら、時折批評をした。 彼もまた冷静に意見を述べたり僕がした質問に答えてくれたりしているうちに時間は過ぎて行った。 食事が終わると出かける準備に取り掛かった。とはいえ必要なものはこの身一つである僕は洗い物をしてから服を着替えるだけで済んでしまった。 承太郎の方は僕を待っていてくれる間に読む本を選ぶのに少し迷っているようだったが、結局分厚い本を一冊選び出した。 海の生態系に関するものらしいのだけれど英語で書かれていて一見しただけではさっぱり分からない。 (おそらく翻訳されたものであってもあまり理解できないだろう。) それを手に承太郎は「待たせたな。」と先に玄関に向かっていた僕の元へ来た。 「待ってないよ。」そう答えて二人揃って家を出る。 『家』と言いはしたけれど、ここは空条邸ではなく、承太郎の通う大学と、僕の通う高校の中間地点にあるマンションの一室だ。 不良のくせに(と言ったら怒られるだろうが)国立大に現役合格した承太郎が、実家から通うのは面倒だというのが表向きの理由で、実際は僕が空条家に居辛いと感じていることを慮ってそう提案してくれたのだ。 ホリィさんは寂しがっていたけれどジョースターさんが彼女を説得して、マンションまで用意してくれた。ホリィさんのお願いで土日祝日は用事がない限り空条邸へと帰ることになっている。 今日は金曜日で僕も学校へは行けないのでそのまま空条邸へ行くことになるかもしれない。 電車を乗り継いでおよそ2時間かけてSPW財団の医療施設へ行く。 担当医の都合で11時という少し遅めの約束だったのでのんびりと目的地へと向かった。 二人で他愛もない話をしながら行けば、一人で行く時に感じるほどの時間を感じなかった。 IDカードを提示していつものように案内してくれるスタッフについて診察室へと向かった。 承太郎は待合室で待っていてくれるということだった。 一人きりではないからだろう、常ならば少し恐ろしい検査も何ともなかった。(まるで子供だ。)そう考えて少し恥かしくなった。 担当医は僕に何も問題は無いと言って、血液検査の結果は2週間後になると教えてくれた。 電話で連絡が入るので、その結果が『問題なし』であれば次の検診は半年後だ。 何も異常が無いことに安堵して「ありがとうございます。」と礼を言い待合室で待っている承太郎の元へと急いだ。 待合室でコーヒーを飲みながらページを繰る彼はそれだけで絵になる程に格好良くてつい見惚れてしまった。 本から目を上げた彼が「どうかしたのか?」と不思議そうに聞いてきたとき、僕は慌てて「な、何でもないさ!」だなんて言ってしまって彼に笑われた。 「もう終わったのか?」 「ああ、もう帰れるよ。今回は早く済んだ方だ。」 「そうか。…もう1時半か。」 「待たせてしまってごめん。ついて来てくれてありがとう。」 「構わん。どうせ今日の講義は出席も点数もクリアしているからな。」 「やれやれ!…それじゃあ、何か食べよう。」 そんなことを話しながら出口へ向かう道すがら、スタッフの女性に「お大事に」と声を掛けられた。 もうすっかり元気な自分としては妙な感じがしたけれど、「ありがとうございます」と答えた。 思い返せばもう2年半が経ってしまった。この傷痕は一生消えないだろう。(消すつもりもないのだけれど。) 3か月昏睡状態にあり、それから半年というものずっとこの施設に入院していた。 退院してからは空条家に住まわせてもらって(こう言うと怒られてしまう。)通院を繰り返した。 初めのうちはホリィさんが付き添ってくれた。彼女は息子が増えて嬉しいと言ってはしゃいでいたっけ。 その間、承太郎は大学進学を目指して高校に通っていた。 出席日数を稼ぐためだと言っていたけれど、実際彼は賢いので授業なんてあまり意味が無い。 そして僕が退院するころには学年トップで3年生に進級した。 僕はと言えば休学扱いにしてもらっていた2年生を再開した。 だけれど通院のために遅刻したり、急に体調を崩して早退したりとあまり良い成績ではなかった。 体育はドクターストップがかかっていつも見学だった。皆が汗をかくまで動くのが羨ましいと思った。 以前は汗をかくのなんて嫌いだったっていうのに。(その当時汗と言ったら冷や汗や脂汗ばかり描いていたからかもしれない。) 行き帰りはいつも承太郎と一緒だった。彼が僕を迎えに教室まで来るもんだから毎日注目の的だ。 ただでさえダブりなのに。でも僕を心配して来てくれていることが嬉しかったし彼を独占できることも誇らしかったから『当り前』であるかのように振舞っていた。 その春、彼は大学に僕は3年生に進んだ。だから僕は今受験生だ。 とは言ってももう私立大学の推薦枠を獲得しているし、奨学金の権利も獲得済みだ。 よって学校へは行っても行かなくても良い。 僕は大学を出たら在宅勤務の出来るプログラミングの仕事にでも就こうかと考えている。 他人とは出来る限り付き合いたくないし、家事を僕が引き受けたいからだ。 生活リズムの関係で家事全般を彼に任せきりの感がある今の状況は何とも心苦しい。 特にやりたいことも無いし僕に合っている仕事だと思う。それに得意なことなのだから一番だろう。 僕としては承太郎の傍に居るだけで満足なのだけれど何もしないという訳にもいかない。だからこそ僕はこれを仕事にしたいと思う。 ビュゥッと一際強い風が吹いた。頬に当たる風がとても冷たい。 僕はマフラーをぐるぐる巻きにして内側がフワフワの羊側の手袋をはめている。ロングコートのボタンは全てきっちりと留めた。 一方、承太郎はロングコートの前は全開でマフラーは首に掛けているだけ。手袋は黒皮だが薄手のものだ。 よくあれで寒くないな、と感心してしまうけれど彼は何ともないようで、コートの裾を翻して歩いて行く。 その姿はその辺りのモデルなんか目じゃ無い程に格好良い。振り返らない女性なんていない。まぁ彼は気にも掛けないのだから少し気の毒だと思う。 一言も発さなくなった僕を変に思ったのか承太郎が声を掛けてきた。 「典明、どうした?」 「え、なんでもないよ。ただ、もう2年半も経ったんだなぁって思ってさ。そりゃあ元気にもなるよね。早いな…。 ちょっと信じられないんだ。君に会う前、月日が経つのはとても遅く感じられていたから。だけど君と過ごす日々はまさに光のように過ぎ去っていく。」 笑顔でそう言うと、彼は少しだけ驚いたような顔をしてから、フッと小さく微笑み返してくれた。 二人並んで歩いて行く。その何と幸福なことだろう!以前の退屈な日々が信じ難い程に現在の生活は満ち足りている。愛されている実感もある。 自信過剰と思われるかもしれないけれど、そう思える位に承太郎は僕を大事にしてくれる。 それが本当に幸せで大声で言いふらして歩きたい。(実際にはそんなことをする勇気なんて無いのだけれど。) 今日も、明日も、これからずっと2人でずっと生きていきたい。 折角僕たちに与えられた穏やかな日々なのだから毎日を楽しまなくてはもったいない。僕は承太郎に提案した。 「なぁ、昼食が済んだらどこかに遊びに行かないか?平日だからきっと静かだと思うんだ、親子連れも少ないだろうし。」 「あぁ、そうだな。たまには良いな。」 「どこが良いだろう?僕は屋内が良いと思うよ。」 「単にお前が寒いだけだろうが。…じゃあ今日は水族館だな。」 「それこそ単に君が見たいだけじゃあないかッ!…まぁ僕は別に君と一緒ならどこでも良いのだけどね。」 「決まりだな。この近くの水族館に新しいヒトデが入ったんだがずっと気になっていた。」 「君ってヤツは…!」 初めから素直に言えば良いのに!全くこういう所も愛しく思えてしまうから困る。 デートのつもりで誘ったのにこれでは悲しいかな好い雰囲気になりそうもない。 だけど、彼の真剣な姿を見るのも好きだからきっとヒトデに夢中になった彼に見惚れてしまうんだろう。 「さぁ、行き先も決まったことだしご飯を食べよう!」 「そうだな。」 笑みを交わしていつの間にか止めていた足を進める。 承太郎は近頃本当に柔らかい表情をする。それが僕のせいだったら良いなぁ、と思う。 僕がもし女だったらもっと堂々と、腕を組んだりキスをしたり人前で出来ただろうけど、女性にモテまくる承太郎の《彼女》であると考えると気苦労が絶えないに違いない。どちらにしても大変そうだ。 しかし一つだけはっきりと断言できることがある。それは僕がもし女でも彼に恋をするということだ。 さて、何を食べようか。 |