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今朝から落ち着きを失くして部屋の中を歩き回っている承太郎に、見かねて典明は呆れたように声を掛けた。 「なぁ、座って何か飲んだらどうだい?コーヒー…いや、ハーブティーを淹れるから、さぁ君はここへ座って座って!」 イライラしているのを隠そうともしない承太郎の背中を押してソファへと導き座らせると、典明はキッチンへと向かった。 時計を見やれば約束の時間までまだ二時間もある。 やれやれ、と彼の言葉をまねて溜息を一つ吐くと、お茶を入れる準備を始めた。 そう、今日は承太郎の愛娘、徐倫がボーイフレンド、と言うよりは結婚したい相手を連れてくるのだ。 それで承太郎はイライラと動物園の檻に入れられた熊のようにウロウロ部屋の中を歩き回っているのだ。 僕らは高校、大学と一緒に過ごした。終始恋人未満ではあったが友人以上の仲だったと言えるだろう。 承太郎は大学院へ進み、僕は在宅勤務が可能な企業に入社した。その後彼は海洋学博士となりアメリカへ渡った。 それ以降はあまり会う機会も無くメールや電話が主な連絡手段だった。 渡米一年目の終りに承太郎は教授の勧めで結婚して、その一年後には徐倫が生まれた。 徐倫は会うたびに父親に似て整った顔つきになり、美人になった。 僕にもよく懐いてくれて、その当時から娘のように感じていた。 そして、承太郎の妻だった人とも上手くやれていたと思う。 だった、というのは二人は離婚してしまったからだ。 仕事や調査、研究に忙しい彼に愛想を尽かして徐倫と共に出て行ってしまったのだ。確か、徐倫が八歳の時だったと記憶している。 正式に離婚が決定してからも月に三回以上は必ず会うようにしていた承太郎の思いが通じたのか、徐倫が承太郎を嫌うことも無く父娘の仲は良いようだ。 その後、僕もアメリカの会社にヘッドハンティングをうけて移り、承太郎の家の空いている部屋を借りて暮らし始めた。 僕は高校時代から承太郎の事が好きだったから、彼の方から部屋を貸してやろうかと言われたときは嬉しくて仕方がなかった。 高校時代は傍にいられれば満足だったけれど、二人で暮らし始めてからある事をきっかけに僕らは恋人同士になった。 徐倫に二人の関係を話すと言われたとき、僕は恐かった。 彼女に話を聞いてもらうときも僕はどうしても彼女の目を見ることが出来なかった。 だけどあの子は嬉しそうに笑って僕にハグとキスを贈ってくれた。 嫌われ、蔑まれる事をも覚悟していた僕は、あまりの安堵感と幸福感にボロボロと涙を流して二人を驚かせてしまった。 この十年は徐倫が呆れ返るほど、そう、新婚夫婦もうんざりする程に僕らは愛し合って暮らした。 彼女に僕たちの家へ来ないかと誘っても「見ているこっちが恥ずかしくなるから」と言われてしまった。 子供だ子供だなんて思っていた徐倫も今年で十九歳になって、恋人を連れてくる。 僕達のことを快く許してくれたあの子が選んだ相手なのだから、きちんと話を聞いて理解してやるべきだと思う。 承太郎の娘なんだからきっと変な男を好きになったりはしないだろう。 もう少し信じてやれば良いものを頑固親父殿は朝から不機嫌丸出しだ。 カモミールとレモングラスの入った爽やかなハーブティーを持ってソファに座っている彼の所へ戻る。 普段の落ち着いた様子とは打って変わって余裕のない彼が可笑しくてクスリと笑いが漏れてしまった。 「何だ。」 「いや、さすがの承太郎も徐倫の事となるとただの親バカだね。」 「…うるさい。」 カップに口を付けてそっぽを向いてしまった彼が少し可愛く思えて、隣に座って肩に頭を持たせかけた。 クスクス笑いが伝わったのか「オイ」と怒ったような声を出されてしまった。 「ごめんよ。でも、ちゃんと相手のこの話を聞いてあげなきゃあ駄目だ。」 「分かってる。だから今日と言う日を設けたんだ。」 「じゃあもう少し落ち着きなよ。そんな怖い顔してたら相手の子が可哀想じゃあないか。」 「それ位で怖気づく様なヤツに徐倫はやらん。」 「やれやれ、仕方のない親父殿だねぇ。まぁ、僕の方もそう簡単に許すつもりはないけど。」 そう言った僕を驚いたように見つめてきた承太郎へニヤリと笑ってやると、彼は小さく声を立てて笑った。 もし気に喰わない奴だったらどうしてやろうかなどと話し合っているうちに時間は約束の十分前になっていた。 そろそろ来るだろうとカップやポットを片付けていると玄関のチャイムが鳴った。 インターフォンで確認して承太郎と二人で彼女たちを出迎えた。 扉を開けると、徐倫とガチガチに緊張していると見受けられる長髪の青年が立っていた。 「いらっしゃい。」 「こんにちは、パパ!父さんも元気そうね。…この人がナルシソ=アナスイ。私の愛する人よ。 ナルシソ、こちらがパパの典明さん。そして父さんの」 「空条承太郎だ。」 「はじめまして、ナルシソ=アナスイと申します!お会いできて光栄です。承太郎さん、典明さん。宜しくお願いします!!」 直角になるほど腰を折ってお辞儀する彼に、承太郎は「ああ」と簡単に応えた。 何だか微笑ましい。徐倫の様子を見てみれば、少し安堵した様子だった。 「さぁ、中に入ろう。いつまでもこんな所に居てはいけない。お茶でも飲もう。」 僕がそう声を掛けると「お邪魔します。」と言って二人は入って来た。 居間へ通してソファに掛けるよう言い置くと、僕は紅茶を淹れるためにキッチンへ移動した。 徐倫も後から来て用意をしながら少し話をする。 「二人の様子は?」 「う〜ん…黙ったまま。上手くいくかしら?」 「礼儀正しい子みたいだね。…僕達のこと話してあったのかい?」 「えぇ、もちろん!大切な家族のことを分かってくれない人は駄目だわ。 それにね、彼は話をした時にこう言ったの、もし自分が女でも私を好きになってただろうって。」 幸せそうに言った徐倫の頭を撫でてやりながら言う。 「君の選んだ人なんだ、きっと大丈夫。色々と話を聞かせてもらうよ。」 「うん。どんなに反対されても諦めないわ、私たち。」 あぁ、大人になってしまったんだな、と思う。ついこの前までは承太郎に肩車されて喜んでいたというのに。 承太郎とバトルになったら間に入らなくては、とある程度の心構えをしてティーセットと焼き菓子の入った容器を持って居間へと戻る。 お茶を飲んで少しは落ち着いたのかアナスイは少しずつではあるが笑顔を見せ、会話に参加するようになった。 そして一時間が過ぎた頃、アナスイが意を決して切り出した。 「承太郎さん、典明さん、オレ達は三年前から付き合ってます。それなのにずっとご挨拶に来なくてすみませんでした。 ですが、俺が俺に納得がいく人間になってからと決めていたんです。オレは徐倫を心から愛してます。 一生を懸けて彼女を幸せにしたい。結婚を許してください、お願いします!」 そろって頭を下げた二人を見て、承太郎は「顔を上げろ」と言った。そうしたきり、眼を閉じて黙り込んでしまった。 二人は困り果て助けを求めるような目で僕を見たけれど、僕にはどうしようもなくて苦笑するよりなかった。 僕は彼に好感を持った。彼女を託しても良い人間だと思う。だが、承太郎の思いはもっと複雑なんだろう。 「…承太郎?」 声を掛けると彼は眼を開け、アナスイに向かって静かに言った。 「今日は泊まって行け。いいな?」 「はい、お世話になります。」 僕は徐倫と顔を見合わせ、笑顔になる。最悪の事態は免れたようで安堵する。 そろそろ夕食の買い出しに行かなくてはならない。そう言い置いて僕は玄関に向かった。 家から出ようとしたとき、アナスイが一緒に行くと言ってついて来た。 聞けば徐倫が承太郎と二人きりで話したいと言ったのだそうだ。 「…典明さん。オレは徐倫に会うまでお世辞にも正しい人間とは言えない生き方をしていた。 だけど徐倫が現れて、最低だったオレを人生のどん底から救いあげてくれた。 彼女はオレを導き照らしてくれる光なんです。彼女は俺が幸せにしたい。」 強い意志の見える瞳で言うアナスイに僕は安心した。 おそらく彼ならば徐倫を幸せにしてくれるだろう。 そして彼女もまたアナスイを幸福に満たすだろう。 僕たちがそうであるように。 「アナスイ、君は良い子だね。僕は君たちの味方だよ。…まぁ、承太郎は頑固親父だから大変かもしれないが。 あの二人は今頃何を話しているだろうね?喧嘩していないと良いんだが…あれで大人気ない所があるから。」 そう言うとアナスイは嬉しそうに、楽しそうに、そして少し困ったように笑った。 彼はまだ二十代だ。まだまだ悩み、迷い、苦しむことも多いだろう。 自分に納得がいくまでは来ることが出来なかったと言った彼が精一杯の思いを込めて伝えたのだ。 その彼の言葉は確実に承太郎にも響いたことだろう。 家に戻るとそこでは冷戦が勃発していた。二人が二人とも表情を硬くして一言も言葉を発そうとしない。 僕らは困ったことになったと目配せし合った。アナスイは徐倫の元へ行き、僕は夕食の準備を始める。 すると承太郎がやって来て手伝ってくれた。 「僕達の居ない間に何があったんだい?」 「…全く話が噛み合わん。」 「ちゃんと話は聞いてあげたんだろ?あの子が筋の通らないことを言うほど馬鹿じゃあないって知ってるだろ。少し冷静になりなよ。」 「…幸せになれる感じがする、と言ったんだ。何だ『感じ』って。そんな曖昧な理由で良いわけがないだろうがッ!」 「あ〜…君ねぇ。…あのさ、あの子の表情や様子を見ていれば分かるんじゃあないか?」 もう徐倫は運命の人を見つけて、幸せで、心を決めているってことが。 承太郎の顔を覗き込めば眉間に深いしわを寄せて黙りこくっている。 頭では分かっているが、可愛い娘を手放すのが嫌なんだろうね。 その気持ちはよく分かるけれど、それで最愛の娘に嫌われてしまっては馬鹿らしいではないか。 一度アナスイと二人きりで話させなければと思うがどうしたものだろう。 まず、二人きりにして平気だろうか…? そんなことを考えながら料理を続け、残る二人も手伝ってくれて夕食となった。 ギクシャクする空気を何とかしようと僕とアナスイは気を使って疲れてしまった。 食事の片づけは徐倫と二人でした。彼女の方から申し出てくれて、承太郎とアナスイは今で話をしているだろう。 「承太郎から聞いたよ。喧嘩したんだって?」 「…だって父さんったら『駄目だ。』とか『認めん。』って否定ばかりするのよ!私だってよく考えて話したつもり。 アナスイはとっても素敵な人だわ。彼との未来が想像できるの。きっと彼が私の伴侶なんだと感じる。…父さんにとってのパパみたいなね♪」 「こらこら。…承太郎も君のことを手放したくないんだよ。可愛い愛娘を取られたくないんだ。僕は君たちの結婚に賛成だ。 今日は無理でも、明日はどうか分からない。彼が泊まっていけって言ったんだから何か考えがあるんだろう。信じてごらんよ。」 そう僕が言えば、徐倫は小さく頷いて笑顔になった。 片付けを終えて二人で居間へ戻ってみると言い争う声が聞こえてきた。 「承太郎さん、オレは本気です!!!」 「お前の気持ちを疑っているわけではない。」 「ッだったらどうして…」 「やめないかッ!」 僕は見兼ねて叫んだ。二人は驚いたらしくピタリと言い合いをやめた。 「君たち…今日はもう休んだ方が良い。少し頭を冷やすんだ。良いね?」 そう言い放つと僕は承太郎を引っ張って寝室へと移動した。 不機嫌になった僕に彼は言った。 「すまん。」 「本当に分かっているのか?まったく…。」 後ろから抱き締めて来た承太郎に溜息を一つ落として振り向けば、彼は珍しく苦悩の表情を浮かべていた。 叱られた大型犬のようで可愛い…じゃあなくて!僕は怒っているんだ。そう言う顔に見えていることを祈りながら言う。 「なぁ、別に会えなくなるわけではないんだよ。」 「あぁ…分かってる。」 「僕は彼なら大丈夫だと思う。徐倫とアナスイ、それぞれと話してみて確信したよ。…そういう君も認めてはいるんだろう?」 「……まぁ、な。」 「うん。じゃあ答えはもう決まってる。…違うかい?」 「………。」 黙り込んで僕の肩に顔を埋めてしまったまま動かない承太郎の背中を軽く二、三回たたいてぎゅっと抱きしめる。 「大丈夫、上手くやっていけるよ。」 僕の身体が軋むほど強く抱きしめ返されて愛しさが募る。 しばらくは甘やかしてあげよう。 翌日、朝食の席で承太郎は唐突に切り出した。 「月に一度は必ず二人で会いに来い。…良いな?」 「父…さん?」 「…はい!ありがとう、ございますッ!!」 驚きを隠しきれない徐倫と、ほとんど涙目になっているアナスイに、承太郎は気恥かしいのかそっぽを向いている。 僕は笑いだしたくなるほど嬉しかった。 「おめでとう!!」 普段では考えられないほどの大きな声でそう言った僕にみな目を丸くしていた。 僕は徐倫とアナスイにそれぞれハグをして、承太郎にはキスをした。 あまりの感動に泣けてきてしまって皆を困らせてしまった。 二人のこれからの人生が幸福に満ち溢れていることを心から願う。 あぁ、神様、もし居るというのなら彼らに最大級の祝福を!!! |